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電子書籍で読めませんでした
はじめまして。
ご紹介の週刊エコノミストの池内先生の記事を読みたくて電子書籍で購入しました。
結果は該当記事が非表示。
問い合わせたところ、著作権、許諾権の関係で非表示とのこと、写真や画像は仕方ないにしても、記事そのものが読めないというのでかなり落胆しました。
この落胆から立ち直れたら紙版の購入を検討しますが、立ち直るためにも、お忙しいところ愚痴コメントで大変恐縮ですが、ひと言どうしても言いたくて。
失礼いたしました。
今後のご活躍を祈念しつつ。
ご紹介の週刊エコノミストの池内先生の記事を読みたくて電子書籍で購入しました。
結果は該当記事が非表示。
問い合わせたところ、著作権、許諾権の関係で非表示とのこと、写真や画像は仕方ないにしても、記事そのものが読めないというのでかなり落胆しました。
この落胆から立ち直れたら紙版の購入を検討しますが、立ち直るためにも、お忙しいところ愚痴コメントで大変恐縮ですが、ひと言どうしても言いたくて。
失礼いたしました。
今後のご活躍を祈念しつつ。
Re: 電子書籍で読めませんでした
> ご紹介の週刊エコノミストの池内先生の記事を読みたくて電子書籍で購入しました。
> 結果は該当記事が非表示。
> 問い合わせたところ、著作権、許諾権の関係で非表示とのこと、写真や画像は仕方ないにしても、記事そのものが読めないというのでかなり落胆しました。
それは申し訳ないことをしました。まず、「読書日記」の連載に関しては、毎日新聞社の法務部の提示した条件を見て、私の基準に合わないので、許諾していません。
そのことはこのブログでは折に触れて告知しておりました。
http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-103.html
http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-121.html
http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-157.html
「読書日記」の連載記事をまとめた際に、改めて、このように書いておいています。電子出版をどうするかということ自体がこの連載のテーマの一つであるからです。
《なお、この連載は『週刊エコノミスト』の電子版を契約していただいても読めません。毎日新聞社が提示してくるデジタル版の契約条件が私の基準と合わないので、承諾していないのです。ですので、もし連載が今後も続いて、ご関心がある方は、刊行された週に、本屋でお買い求めください。
私の電子出版に関する基準はいろいろありますが、儲けようとかいうことではなく、「そのやり方で、出版は成長しますか?市場は開拓されますか?本当に考えてやっていますか?」ということを第一に考えたうえで判断している。》
『週刊エコノミスト』の読書日記は、いったい何のために書いているのか、について(2014/10/01)
http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-201.html
今回は特集記事なのだから編集部の企画・貢献部も大きいので、改めて今回の特集記事についてだけ許諾依頼が来れば承諾しても良いと思わないでもないですが、その手間を取らなかったのでしょう。こちらからそこまで提案するほど、現代の原稿料は高くありません。そもそも依頼が来て超短期で納入、手弁当で地図作成を資料提供・画像処理支援までするというサービス過剰でした。本当はこんなことはやってはいけないので、しかるべき出版社はしかるべき地図作成部門を持っていないといけないのです。New York TimesやEconomistは同業他紙・誌より地図がいいから売れているという面があります。
原稿料はおそらく30年前から全く上がっていません。電子版の導入でむしろ大幅に下がったケースが普通です。少なくとも字数あたりではとてつもなく下がっており、筆一本で生きられる人はほぼいなくなりました。編集者にはきちんと給料が出るのに、書き手は持ち出しでは産業として成り立ちません。
電子書籍にすれば、雑誌の買漏らしもなくなるし、保存もできるし、というメリットは私も感じますが、ビジネスとしてあまりに書き手に不利な場合は、承諾していると書き手が死滅しますので、断れる立場の私のような者が、断っておくことが重要と考えて、断っています。今回は狭間に落ち込んだケースで、ご愁傷様です。
電子出版の配信契約は、出版社が権利を抱え込んで売る努力をしないことを制約する制度が埋め込まれていなければ(例えば数年間で排他的配信権が消滅する、あるいは一定期間売れた実績がなければ排他的配信権が消滅する、等々)死蔵されかねません。紙の雑誌と違って、保存して発送して売るためのコストが初期費用以外にほぼかからないから、出版社は努力しなくなるのです。
あるいは読者の側も「いつでも買える」と思えば結局買わなくなるという意味での負のインセンティブになりかねません。
「絶版有理~『ウクライナ・ナショナリズム』はカッコいいなあ(2014/04/23)」
http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-100.html
も読んでみてください。
イギリスのEconomistは、電子版で値引きなしでも契約したくなるフォーマット(内容だけでなく)を備えています。こういったデザインとビジネスモデルを示してくれるところがあれば電子版掲載を承諾してもいいのですが、日本の基準では私は「売れる」書き手ではないので(要するに日本の出版社は「池上彰」と「竹中平蔵」しか大事な書き手・話し手として求めていない。おしなべて大衆娯楽出版なのです。情報・学術出版社は、基本的には、一つも存在しないのです。それが日本社会の現実、日本の国際社会の中の立場としても現実です。そのような国にはその程度の情報・学術しか育たないのです)、出版社は私の記事ごときを特別にケアして権利問題をカスタマイズして電子版紙面を万全にしようとはしません。それはつまり、私の読者の要望など聞かないということなのですが、そのことはあまり理解されていません。「金にならない書き手」「契約を拒否するうるさい書き手」としか見ていないということです。
出版社がそのような態度でいられる時代はとっくに終わったと思っていますが、認識にはタイムラグがあります。
まあ、このブログを有料にして、それで有意義な質・量の購読者が集まるなら、一切新聞・雑誌への寄稿はやめても良いんですが。
> 結果は該当記事が非表示。
> 問い合わせたところ、著作権、許諾権の関係で非表示とのこと、写真や画像は仕方ないにしても、記事そのものが読めないというのでかなり落胆しました。
それは申し訳ないことをしました。まず、「読書日記」の連載に関しては、毎日新聞社の法務部の提示した条件を見て、私の基準に合わないので、許諾していません。
そのことはこのブログでは折に触れて告知しておりました。
http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-103.html
http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-121.html
http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-157.html
「読書日記」の連載記事をまとめた際に、改めて、このように書いておいています。電子出版をどうするかということ自体がこの連載のテーマの一つであるからです。
《なお、この連載は『週刊エコノミスト』の電子版を契約していただいても読めません。毎日新聞社が提示してくるデジタル版の契約条件が私の基準と合わないので、承諾していないのです。ですので、もし連載が今後も続いて、ご関心がある方は、刊行された週に、本屋でお買い求めください。
私の電子出版に関する基準はいろいろありますが、儲けようとかいうことではなく、「そのやり方で、出版は成長しますか?市場は開拓されますか?本当に考えてやっていますか?」ということを第一に考えたうえで判断している。》
『週刊エコノミスト』の読書日記は、いったい何のために書いているのか、について(2014/10/01)
http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-201.html
今回は特集記事なのだから編集部の企画・貢献部も大きいので、改めて今回の特集記事についてだけ許諾依頼が来れば承諾しても良いと思わないでもないですが、その手間を取らなかったのでしょう。こちらからそこまで提案するほど、現代の原稿料は高くありません。そもそも依頼が来て超短期で納入、手弁当で地図作成を資料提供・画像処理支援までするというサービス過剰でした。本当はこんなことはやってはいけないので、しかるべき出版社はしかるべき地図作成部門を持っていないといけないのです。New York TimesやEconomistは同業他紙・誌より地図がいいから売れているという面があります。
原稿料はおそらく30年前から全く上がっていません。電子版の導入でむしろ大幅に下がったケースが普通です。少なくとも字数あたりではとてつもなく下がっており、筆一本で生きられる人はほぼいなくなりました。編集者にはきちんと給料が出るのに、書き手は持ち出しでは産業として成り立ちません。
電子書籍にすれば、雑誌の買漏らしもなくなるし、保存もできるし、というメリットは私も感じますが、ビジネスとしてあまりに書き手に不利な場合は、承諾していると書き手が死滅しますので、断れる立場の私のような者が、断っておくことが重要と考えて、断っています。今回は狭間に落ち込んだケースで、ご愁傷様です。
電子出版の配信契約は、出版社が権利を抱え込んで売る努力をしないことを制約する制度が埋め込まれていなければ(例えば数年間で排他的配信権が消滅する、あるいは一定期間売れた実績がなければ排他的配信権が消滅する、等々)死蔵されかねません。紙の雑誌と違って、保存して発送して売るためのコストが初期費用以外にほぼかからないから、出版社は努力しなくなるのです。
あるいは読者の側も「いつでも買える」と思えば結局買わなくなるという意味での負のインセンティブになりかねません。
「絶版有理~『ウクライナ・ナショナリズム』はカッコいいなあ(2014/04/23)」
http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-100.html
も読んでみてください。
イギリスのEconomistは、電子版で値引きなしでも契約したくなるフォーマット(内容だけでなく)を備えています。こういったデザインとビジネスモデルを示してくれるところがあれば電子版掲載を承諾してもいいのですが、日本の基準では私は「売れる」書き手ではないので(要するに日本の出版社は「池上彰」と「竹中平蔵」しか大事な書き手・話し手として求めていない。おしなべて大衆娯楽出版なのです。情報・学術出版社は、基本的には、一つも存在しないのです。それが日本社会の現実、日本の国際社会の中の立場としても現実です。そのような国にはその程度の情報・学術しか育たないのです)、出版社は私の記事ごときを特別にケアして権利問題をカスタマイズして電子版紙面を万全にしようとはしません。それはつまり、私の読者の要望など聞かないということなのですが、そのことはあまり理解されていません。「金にならない書き手」「契約を拒否するうるさい書き手」としか見ていないということです。
出版社がそのような態度でいられる時代はとっくに終わったと思っていますが、認識にはタイムラグがあります。
まあ、このブログを有料にして、それで有意義な質・量の購読者が集まるなら、一切新聞・雑誌への寄稿はやめても良いんですが。
電子書籍の「落とし穴」でしょうか…
お忙しいのにお手を煩わせてしまいましたね。
でも、おかげで池内さんの電子書籍に関するお考えはよくわかりました。
こちらのブログを拝見するようになったのは最近のことなので、週刊エコノミストの「読書日記」連載に関する記事は読んでいませんでした。
書き手が電子書籍への掲載を拒否するというのは意味のあることだと思いますし、読み手としては書き手の基準や姿勢にまず敬意を払いたいと思います。
リンク先の記事では、本はモノなのかデータなのかという視点、電子書籍というだけでなく、日本独自の出版や流通システムの問題等、頷ける部分、考えさせられる点など多々ありました。このあと書店に行ってみようという気にもなりました。
せっかくなので(というのもヘンですが)、今回思ったことをもうひとつ付け加えさせてください。
「今回は狭間」とのこと、出版社との問題とは別に、私が「落とし穴」と感じた点について。
購入したオンライン書店の商品ページには、「※デジタル版には一部収録されていない記事がございますのでご了承願います。」という注意書きがあったのですが、私は購入時に気付きませんでした(この手の”さりげない”注意書きはなかなか目に入らないものです)。これで売り手は免責されるとしているわけですが、ほんとにそうだろうか、と思ったのです。
買い手がもしこの一行に気付いたとしても、自分が読みたい記事が収録されているかいないかは、購入時にはわかりません。当たりはずれがダウンロードして開いてみるまで分からないというのは、記事内容に関してはあり得ても、記事そのものがないというのは別のことです。最中を買ってかぶりついたらあんこが入っていなかった、ようなものですから。これは売り手の商品説明の問題でしょう。雑誌という媒体がその程度のものだと言われてしまえばそれまでですが、、少なくとも、どの記事が収録されていないか明示してあれば、今回の私なら(コンテンツや著者を吟味してのことなので)同じオンライン書店から紙版を買ったでしょう。多数ある電子書籍の販売サイトも、ビューワーだけでなく、商品説明の丁寧さでも競って欲しいものです。
というようなことは、オンライン書店にも伝えました。個人的には電子書籍より紙版を購入するほうが圧倒的に多いのですが、電子書籍のメリットも、読み手書き手双方にとって、あると思っています。そのメリットを活かし、享受するためにも、まだまだ書き手も読み手も電子書籍を「育てる」必要があるなあ、と今回思った次第です。
長長と失礼いたしました。
そして、ありがとうございます。
でも、おかげで池内さんの電子書籍に関するお考えはよくわかりました。
こちらのブログを拝見するようになったのは最近のことなので、週刊エコノミストの「読書日記」連載に関する記事は読んでいませんでした。
書き手が電子書籍への掲載を拒否するというのは意味のあることだと思いますし、読み手としては書き手の基準や姿勢にまず敬意を払いたいと思います。
リンク先の記事では、本はモノなのかデータなのかという視点、電子書籍というだけでなく、日本独自の出版や流通システムの問題等、頷ける部分、考えさせられる点など多々ありました。このあと書店に行ってみようという気にもなりました。
せっかくなので(というのもヘンですが)、今回思ったことをもうひとつ付け加えさせてください。
「今回は狭間」とのこと、出版社との問題とは別に、私が「落とし穴」と感じた点について。
購入したオンライン書店の商品ページには、「※デジタル版には一部収録されていない記事がございますのでご了承願います。」という注意書きがあったのですが、私は購入時に気付きませんでした(この手の”さりげない”注意書きはなかなか目に入らないものです)。これで売り手は免責されるとしているわけですが、ほんとにそうだろうか、と思ったのです。
買い手がもしこの一行に気付いたとしても、自分が読みたい記事が収録されているかいないかは、購入時にはわかりません。当たりはずれがダウンロードして開いてみるまで分からないというのは、記事内容に関してはあり得ても、記事そのものがないというのは別のことです。最中を買ってかぶりついたらあんこが入っていなかった、ようなものですから。これは売り手の商品説明の問題でしょう。雑誌という媒体がその程度のものだと言われてしまえばそれまでですが、、少なくとも、どの記事が収録されていないか明示してあれば、今回の私なら(コンテンツや著者を吟味してのことなので)同じオンライン書店から紙版を買ったでしょう。多数ある電子書籍の販売サイトも、ビューワーだけでなく、商品説明の丁寧さでも競って欲しいものです。
というようなことは、オンライン書店にも伝えました。個人的には電子書籍より紙版を購入するほうが圧倒的に多いのですが、電子書籍のメリットも、読み手書き手双方にとって、あると思っています。そのメリットを活かし、享受するためにも、まだまだ書き手も読み手も電子書籍を「育てる」必要があるなあ、と今回思った次第です。
長長と失礼いたしました。
そして、ありがとうございます。